大正四年(一九一五年)には 森の西海岸一帯に玉津浦海水浴場が開設されました。
知多半島を近くに眺め、衣ヶ浦第一の景勝地といわれ、きれいな砂浜に透き通った海という好条件に恵まれて、海岸線には露店、海の家が軒を連ね、桟橋も作られ、貸しボートやヨットが海を覆っていました。
また、当時、三河鉄道(後の名鉄三河線) が開通されたこともあり、遠方から多くの海水浴客が訪れ、夏の観光地として、大いに賑わっていました。
しかし、昭和三十九年(一九六四年)、衣浦臨海工業地帯造成のために、その幕をおろすことになりました。現在、往時を偲ばせるビーナス像のシャワー塔が森の西に残っています。
玉津浦海水浴場が開設された頃、日本赤十字社愛知県支部は、からだの弱い児童の保養所を設置する場所を探していました。
水がきれいで、魚貝や野菜が新鮮で豊富な保養地を選定した結果、大正十年(一九二二年)に、県内で大浜が最初に選ばれたのです。大浜小学校が宿泊所で玉津浦海水浴場が林間保養所となりました。
地元の開業医さんや小学校の先生の協力のもと、お父さんお母さんの熱い思いに送られた子どもたちは、生まれて初めての共同生活を楽しく過ごしたのです。
玉津浦海水浴場がその役割を終えようとする頃に、ごんげんの森に新たなお社が整備されました。
森の西方に、菊女の石碑と並んで、「神明造り」の末社がお祀りされています。
このお社は伊勢神宮の式年遷宮で使われた社殿を譲り受け、昭和三十七年(一九六二年)に、玉津浦神社として創建されたものです。
お祀りされている祭神は、豊受大御神、 徳川家康、加藤菊女、金刀比羅神などで、 それぞれが、伊勢神宮及び大濵熊野大神社に由緒深い神さまです。
森の中心にある社殿の西に、 末社の大国主命社が祀られています。
平成三年(一九九一年)に建立されたものです。築山町の妻薬師さんより譲り受けた金大黒をご神体とし、出雲大社と京都下鴨神社から大国主命の御分霊をいただき、祀られています。
七基並ぶ社殿は京都下鴨神社に祀られる様式で、十二支の守護神に分かれています。 それぞれ、ご自分の守護神 (干支)を御参りされます。
ご神体の金大黒さまは、昭和の初め頃、築山町の薬師堂を修理した際、発見されたものです。神社が一時お預かりすることになり、だいじに金庫に安置保管していました。その後、神社総代が金庫よりお出まし願おうとすると、その総代は金縛りにあい、どうする事もできなかったそうです。
そこで、地区の古老や区長に相談したところ、地区より氏神である神社に寄進し、その神徳を氏子のみなさんへお受けいただくようにと、合祀することになったのです。