みなさん、昔ばなしはお好きですか。
長い歴史を持つ日本の国には、各地にいろいろなおはなしが伝わっています。
この大浜の里にもたくさんのおはなしが伝えられています。
今回は有志の方々のお力で「権現の森」を中心に、物語をまとめていただきました。
昔々、この地域は大きな浜に接し、三河湾や衣ヶ浦をまたにかけた海人たちの営んだ地域でした。
人々は浜辺でアサリ、カキ、ハマグリや魚を獲って生活をしていました。
ごんげんの森の南あたりには弥生時代から古墳時代にかけて使われた、甕や壷などの生活用品や、海水から塩を作る土器がたくさん発見されています。
このため、この辺りを玉津浦遺跡と呼んで、
碧南市でも数少ない貴重な文化遺産となっております。
今から850年以上前のこと、神社の由緒書によれば、平安時代の仁安二年(一一六七年)のある日、村人が海岸を歩いていると、潮の流れに乗って打ち上げられ、毎夜、光を放っている大木を発見しました。
不思議に思った村人は、この地の有力者である長田白正さんに見てもらい、太一の文字が書かれた大木の箇所を切り開きました。
すると、熊野権現と記された宝剣が出てきたのでした。
これは、「熊野権現さまが聖地である熊野三社からはるばるお見えになったもの。
熊野三社のご祭神伊弉冉命は、伊勢神宮で祀りされている天照大御神のお母さんで神様の祖神(祖先)
速玉男命は厄除けの神様、事解男命は学問の神様である。」
それを聞いた村人は「そんな有難い神様なら、この材木を使って、この場所へお社を建て熊野三社大権現をお祀りしよう。
そして、長田さんに神主さんになってもらい、わしらの大浜村を守ってもらおう。」
こうして、神木を引き揚げた地、今の元本堂の地に熊野権現宮が創建されました。
時に、仁安三年(一一六八年〉旧暦の九月七日(今の十月)でした。
そして、長田家が代々祭祀の責任者となり、大正の初めまで神主として勤めました。
それから200年を過ぎた頃、全国各地で南朝と北朝に分かれた激しい戦いが繰り広げられていました。
人々は安らぎを求めておりましたが、ようやく南北朝和解の機運が熟し、世の中の平穏が見え始めた至徳三年(一三八六年)に、熊野権現宮は大浜村の守護神として、以前の元本堂から現在の場所へ移転するとともに、境内を拡張し、立派な社殿が建てられました。
元本堂は今の権現岬の北辺り、現在、その地には碑が建てられています。