境内の玉津浦神社の隣に女性の鑑(かがみ)とたたえられた貞婦菊女の碑がある。これは、大正十年に当時の碧海郡全域十六町村の小学生二万六千人が一人一銭を寄付して建てられたものであり、 碑文は次の通りである。
「愛知県知事正四位勲二等宮尾舜治題額
加藤菊女は大濱村の土豪泰儔の妻なりき 享保年間泰儔が支配せし中山村の貞照院に 芝増上寺の僧某破壊の罪を得てかくろへるしか 幕吏の之を捕へんとて向ひし時 村人とも思ひ違へて 懲し返しょのみか 僧の行方をさへ失ひしを 幕府より答めありて 泰偽は院主宗心と俱に 伊豆の大島に流謫せられぬ泰儀の妻菊女時に年十八なりしか いたく夫の奇禍を悲み 毎夜跣足にてこの郷の社に詣て 又手つから法華経を写し 消息を願文に副へて一函に納め 之を衣浦に投しぬ 或日泰儔島吏に随ひて配所の岸邊に釣せしに 波にまにまに漂ひ来るものあり 退くること三度に及へとも またより来る怪みて披き見れば 則妻かものせし写経なとなりけり 泰儀はもとより島吏も 亦甚しく感激して 事の由を幕府に報せしかは 幕府大に菊女の志を憐み 遂に泰儀を赦して郷里に還らしめぬ 菊女神恩の渥きをかしこみ 三十六歌仙の像を画きて神前に奉れり今もなほ存在す 菊女書画に巧にして遺墨の傳れるもの多しこたひ郡内の小学児童二万六千余人 菊女の貞節をしのひ金を酸してこの碑を建て 永くその美行を博へんとす 菊女の至誠
石と俱に朽ちさるへし
大正十年五月
愛知県碧海郡長正六位勲四等豊田幾次郎識」
<要約>
菊は三河大浜村の代官加藤四郎左衛門の妻。
1718年に起きた孫市事件で罪にとわれ伊豆大島へ流された夫の放免を願い、熊野権現(大濵熊野大神社)に毎日祈願しお百度参りをした。
菊が法華経の写経と手紙を入れた竹筒を海に投じると、奇跡的にそれを夫が拾いあげた。
このことを知った幕府がいたく感激し夫は赦された。
菊女の絵馬